続スカイ・クロラ

スカイ・クロラの感想を頭の中で整理して文書化していたら気づきました。

スカイ・クロラの小説版と映画版は同じプロットをなぞっているけれども、そこに含まれる意味合いはかなり異なるし、主題も違うのですね。

キルドレと言う永遠に子供でいられるという舞台装置を作ったときに、それぞれ言いたいことが違っています。


森さんの原作は、子供から大人になるときが来ることを否定した生き様を見せることが主題でした。そこには「綺麗だ」という生き方への憧れを抱くことはできますが、(永遠を生きられない)読者が共感することは難しいかもしれません。


押井監督の映画版は、お互いを認めて依存して、それによって日々に希望を見出しています。子供から大人になることを描いているので、受け手は素直に共感できます。ただ、小説で繰り返し主張されている執着することへの嫌悪をひっくり返しているわけで、原作のテーマから見ると明らかに異なる結論が出ています。


主人公の

少なくとも、昨日と今日は違う。
今日と明日も、きっと違うだろう。
いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。
いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。
それだけでは、いけないのか?

と言う台詞は、小説版では大人にならず永遠の子供を生きることを肯定しますが、映画版では同じ台詞で大人になる覚悟を伝えています。まったく同じ台詞で逆のことを伝えています。


映画版を見て、すっと納得できた理由がようやく見えました。つまりは自分の理解できる生き方を言っているからなんですね。
そういった根本的な意味の違いを見ると、作品作りって面白いなって思えます。