エウレカセブンはなんでラストを変えたのか?

しばらく放置してましたが、ちょこちょこっと再開。

明日、引越しをするので準備をしようと思ってたのですが、静かなのは寂しいのでなんか欲しい、ということでエウレカセブンラーゼフォンを見ながら作業をすることにしました(ぇ?
で、結局ずーっと見てしまったのでまだ引越しの準備中です。


閑話休題
エウレカセブンはかなりお気に入りの作品ですが、有名なミスリードがあります。
前半でレントンが言った
「僕らはあんな結末を迎えなくても済んだかもしれなかったんだ」
というセリフです。


実はこのセリフがミスリードじゃなかった、というのも割と有名な話です。
2週目ということで余裕を持ってみてみると凄くよくわかりますが、作品全体を通して最後はハッピーエンドじゃない構想で作ってます。
とくに、最後の1クールのオープニングは完全に離れ離れになってしまう前提で作られています。


でも、最終回を見ると非常にポジティブで、華やかで、アニメ的で、ハッピーエンドで終わります。
全然バッドエンドじゃありません。
(私はハッピーエンドだったのでこの作品を「良い」作品だと思ってるんですけども。)


普通に考えるとあれは何?ということになります。


一方のラーゼフォン多元変奏曲。実は同じ製作会社のBONESが作っていて、監督がエウレカと同じです。(そして、この作品も大好きです。)
しかも、同じメカ物路線で、ヒロイン(というか、この多元変奏曲では主人公扱いですが...)が何かを選択しなければならないというプロットまで同じです。
でも、最後では全てがハッピーエンドかというと、そういうわけでもなく、それでもヒロインは幸せを勝ち取ります。
この作品を見てると、なんとなく監督がやりたいことが見えてきます。
「何かを選ぶには何かを諦めなければならない。そして、何を選んで何を得るかが重要である。」
というメッセージです。


たしかに、エウレカのエンディングでは、主人公のレントンは固い決意を示しますが、なにも犠牲にしていません。
名作といわれる「トップをねらえ」で言えば第4話のレベルの話であって、第6話のレベルには達していないという感じです。


そう思ってみてみると、最終回では

  • レントンが「こんな結末は嫌だ」と言ったり
  • 最後も完全にハッピーなシーンで終わらなかったり
  • あてつけのように「トップをねらえ」や「Gガンダム」的なパロディを入れてみたり

と結構ひねくれた要素がてんこもりです。


なるほど、と思ってWebを調べてみると、ありました。
エウレカセブンには「本編とは関係ない」と前置きされながらも、監督が思いを入れている第51話「ニューオーダー」という話があります。
(詳細は調べてみてください)
こっちはテレビの最終話と違って、別れが描かれています。
なんとなく「きれいな」終わりかたをしています。
それまでの伏線もきれいに回収できます。
監督自身も未練があるようで、テレビ版の最終回は妥協の結果だったとも言っているようです。


なぜこのラストが採用されなかったのかはわかりません。
でも、なぜこのラストが使えなかったのかをちょっと考えてみました。

結論としては、ストーリーの構成上、第51話にはできない失敗を入れ込んでしまったんだと思います。


1つめの失敗はモーリス、メーテル、リンクとエウレカレントンが家族を形成してしまったことです。
初恋の人との別れを描くのであれば、第51話をラストに持ってきてもいいのですが、家族の別れとなるとそうはいきません。
特に3人の子供達は「突然親を失う」というハードな内容になってしまいます。
とても1話かそこらじゃ話すことが出来るような内容じゃありません。


次に、レントンたちを後押しする人物たちを出しすぎたことも失敗です。
レントンたちが別れてしまうと、覚悟を決めて「子供」であることを止めたホランドや、レントンに道を示したチャールズとレイの夫婦、ネルブとサクヤの思いがすべて行き場を失ってしまいます。
レントンの思い出だけが残るエンディングでは、あまりにもかき消されてしまった願いが多くなりすぎてしまいます。


テーマとしての混乱に「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」というセリフもあります。
レントンエウレカと別れてしまうと「何を勝ち取ったのか」が非常に分かりづらくなります。


最後に、テーマに民族紛争を盛り込んでしまったことも失敗です。お互いの不理解による争いを描いておきながら
「甘酸っぱい記憶を手に入れた」というラストにしてしまうと、争いに対する答えは何も残りません。
むしろ「だれかがスケープゴートになれば世界は大丈夫」的なメッセージになってしまいます。
それよりは「自分自身の決意を持って幸せを勝ち得ることが大事(=絶えず努力が必要)」的なメッセージになっていた方がずっと良いメッセージです。
(もっとも、扮装を描く点については、「悪役」がはっきりしすぎてしまって、完全に失敗してしまいましたが...)


結局、「恋のはじまりと終わり」や「永遠の恋」を描こうとするには、あまりにもいろんな内容を詰めこみすぎました。
それをやろうとすればラーゼフォンくらいに内容をしぼっておかないとすっきりまとめることは難しいでしょう。


それでもエウレカセブンが凄いと思うのは、そのいちばんやりたかったラストを削ってでも、話の主題を一本通してレントンの成長物語として完結させたところです。
親とも言えるチャールズたちを見てしっかりその意志を継いでいたり、それをまた次世代の子供たちに伝えていたり、しっかりとした「社会の在り方」が提示されています。
子供だけじゃなく、大人でも「自分が子供に何をすべきか」を見つめることも出来ます。
いまどきの、ティーンの閉じた世界だけを描きつづける「セカイ系」とは完全に一線を画しています。
2周目で見てみると、レントンの「アイ・キャン・フライ」がちゃんと2話目のセリフと重なっていたり、演出もちゃんと考えられています。
ティーン的な視線や価値に留まらずにどの世代も何かを得ることができるエウレカの最終回、王道を選択したことで、逆に「大化けした」んじゃないでしょうか。

両方ともSF的なノリをしてますが、実のところ謎解きや設定がメインの話じゃないので(そもそも、本格的SFなんてアニメでやる意味がありませんが...)、そこのところはお気を付けください。